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サザンオールスターズがデビューするまでの紆余曲折とYAMAHA EAST WEST

サザンオールスターズがデビューするまでの紆余曲折

 

それは今の桑田佳祐さん原由子さん 関口和之さんが通っていた青山学院大学でのサークルが始め始まりとなります。

 

青山学院大学にて間もなく、桑田さんは、「青山フォークソング旅立ち」という音楽サークルに入部。

 

ただ、 当初、どう見ても フォークソング とは程遠い出で立ちの桑田さんですから、 どうも真面目にはクラブ活動はしていなかったみたいです。

 

でも、そこで 運命的な出会いに遭遇することになります 。

 

その人の名は、原由子さん。

 

今の桑田さんの奥さんです。

 

当初の原由子さんも少し変わった性格の持ち主だったらしく、ジェロニモというバンドを女性2人組のデュオとして、バンドを組んでいたようで、そこで、エリッククラプトンの曲などを流暢に弾いていたそうです。

それを見て桑田さんは、こいつたタダもんじゃねえ・・・と思ったそうです。

 

そこから今の、サザンオールスターズのメンバーが徐々に構成されていくわけですが、同じサークルの中には関口和之さんがいて あとドラムの松田弘さんやサブメンバーの野沢毛ガニさんなどが加わっていくことになります。

 

桑田さん的には当初は、フォークソングなんてちょっとダサいとフォークソングをバカにしたような持論があり、 桑田さんは独自路線を歩み始めることになります。

 

青学での原由子さんとの出会いが、今日の桑田佳祐さんやサザンオールスターズにとって大きな岐路になっていたということは 言うまでもありません。

 

ご自身でも言われていますが、桑田さんは楽譜が今でも読めないと言われています。(多分嘘でしょう

でもギターの腕も当初はそうでもなかったらしく、 誰だ俺のギターをアンプに差したヤツは?

みたいなことも言ってたようです 。

 

そんないい加減なところが多分にあった桑田さんですが、その桑田さんの有り余る才能を楽譜に落とし、 メロディーとして奏でたのが、原由子さんの存在であるあります。

 

そして関口和之さんは同じ青山学院の同級生として叫ん飲み仲間として よく下宿を行き来していたそうです 。

 

関口和之さんがその当初のことを執筆した、突然ですがキリギリスという本を私は持っていたんですが残念ながらなくしてしまいました。

 

この突然ですがキリギリスには、大学時代での下宿生活の 悲喜交交な楽しい思い出がたくさんエピソードとして載せられていました。

 

 

そして、当初はバンド名も ひっきりなしに変化をしていたそうです。

 

ピストン桑田とシリンダース、温泉あんまももひきバンド、 桑田佳祐とヒッチコック劇場、さすがドリフターズのいかりや長介さんにスカウトされたこともあると言われる桑田さんらしいセンスです。

 

しかし、コロナで志村さんが亡くなった後で、いかりや長介さんにスカウトされたというのは、嘘でした・・・とカミングアウト。(笑)

 

そんな、紆余曲折をしながら、ロック路線を走りたいと思っていた桑田さんですが 、サザンオールスターズがデビューするきっかけとなったコンテストがありました。

 

それがかつて、ミュージシャンの登竜門と言われた、YAMAHA イーストウエストコンクールです。

 

サザンオールスターズがデビューするまでにはいろんな紆余曲折 があったようです。

 

そのコンクールに出場した桑田さんは 、当初、シャイで恥ずかしがり屋だったところもあって ステージに向かって歌を歌わず 、みんな審査員にお尻を向けてお尻をフリフリしながら歌って踊ったそうです 。

 

でも、それが。

 

功を奏したのか、当初の桑田さん率いる温泉あんまももひきバンド は 、特別賞をとることになります。

 

同じヤマハ イーストウエストコンクールで1位だったのは何を隠そう シャネルズでした 。

 

こうした変遷を経て 桑田さんを率いる温泉あんまももひきバンドは サザンオールスターズへの道へのコマを進めることになります。

 

その温泉あんまももひきバンドを スカウトしたのが ビクターエンタテインメントでした。

 

後のアミューズです。

 

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